2009年06月30日

人生

嬉しいことに息子が5年ぶりに帰ってきた
息子は高校を出て5年アメリカで過ごした

考えてみると子供たちが親と暮らす時間は
一生のうち20年ほどしかない
娘に関しては17年ほどしかなかった

今振り返ってみると自分も親と暮らしたのは
中学校までと二十歳から5年ほどで合計20年ほど
今人生が80年ほどもあるのに
子供と暮らすのはその4分の一くらいだ
これにも意味があるのだろう
今まであまり考えたことは無かったが
それが自然なのかもしれないが
少し寂しい感じがする

前にも紹介した五木寛之の
「林住期」という本を思い出した
古代インドヒンドゥー教には四住期というのがあって
人生は学生期、家住期、林住期、遊行期の
人生を4つの期に分け
それぞれのライフステージでの
役割が決まっているという

自分も含め子供たちも
それぞれの人生を歩んでいるのだろうと考えると
少し自分を納得させられる

ちなみに私は林住期にあり
人生で一番輝かしい時期に入っているらしい
孔子も言っている「五十にして天命を知る」

なんとなく分かったような・・・・・
                拝


  
Posted by kkusumi1222 at 23:25

2009年06月14日

無題

わたしたちは相手に多くのことを求める
自分をさておいて相手に求める
自分は与えず相手に求める
自分は傷つかず相手を傷つける
自分もそうかもしれない

ジャッジしない
何が起こっても良い悪いを決めない

今日一日なにもジャッジしないと朝決める
これがまた大変だ
自分の意識と現実の対立が始まる

すべて許容する

そんな事を時々試す
はじめはストレスがたまるが次第に慣れてくる
今まで気にしていた日常の出来事は
たいしたことでもないことに気づく
勘違いしていることも多い
そんなことに費やした
時間がもったいないことにも気づく

そんなことをしていると
自分にも周りにもいい変化が起こる

何もしないことそれは人によっては
ストレスになるが
結果的にはすべてが
自然に流れることが多い

それを続けることで水が上から下に流れるように
自然なるになる
それも次第にまっすぐ
さらに勢いを増し
より大きな流れになる

  
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2009年04月12日

MASTERS

ゴルフの4大大会の一つマスターズが
アメリカ、オーガスタゴルフ場で始まった
4大メジャーで毎年同じゴルフ場で開催されるのは
マスターズだけだきっと難しいコースなのだろう
日本からは石川遼も招待され話題になっているが
残念ながら予選敗退だった

唯一この大会で過去3回優勝しているのが
タイガー・ウッズである
このタイガーを育てたのが父アールウッズ
彼はもとアメリカ陸軍のグリーンベレーの大佐
グリーンベレーと言えばアメリカ陸軍の特殊部隊で
その任務に対しての使命感は絶対であった
こんな父にゴルフというスポーツを
教えられたタイガーは
ゴルフというスポーツもそうだが
一つの事を徹底してやり通すことを
教えられたのではないだろうか

タイガーの事をある本で読んだ
タイガーはゴルフで歴史に残るほどの選手になったが
彼はベースボールや陸上競技でも
あらゆる記録を破るほどの選手になったかもしれない
そして歴史を変えるほどの
科学者になれたかのかもしれないと書かれていた

徹底した目的や使命感を持ち
一つのことに対して強く思う
そしてあきらめない心を持つ事で
人はたいていの事ができるし
誰でも今やっていることで一流になれる

私も今からプロの野球選手や
ゴルファーにはなろうとは思わないが
あらためて自分の目的に向かって
一生懸命やる事が大事だと感じたし
今年社会人となった皆さんにも伝えたい
            
              拝
  
Posted by kkusumi1222 at 10:24

2009年03月16日

転機

人生の転機それは
ピンチとチャンスということになるのかもしれない

この時期になるといつも思い出すことがある
中学校の卒業式です
勉強が嫌でしょうがなかった頃で
とにかく高校へは行きたくなかった
親父が亡くなって周りから見れば貧乏に見えていたのかもしれない
確かに貧乏だったのかもしれないが経済的には高校へは行けた
でも貧乏にかこつけて行かなかった
「逃げた」のだ
多分、親父が生きていたら無理やり高校には行かせられたと思う

先日、知人のメルマガを見たらピンチはチャンスという内容が書かれていた
自分に訪れる数々の転機をピンチをチャンスととらえて
人生が変わるという内容だった

ほとんどの人は(自分もそうだが)ピンチが訪れると
どうしてこんなことが、どうして自分だけが
どうしてこんなに、いつまでこれが・・・・・
と思うだろうが時間が過ぎて後ろを振り返ったとき
懐かしい思い出となってよみがえる

大事なのはピンチとの向き合い方だ
とらえ方次第でそのピンチは180度チャンスに変わる

小5の時親父がなくなったのは
大きなピンチだったのかもしれない
本当に悲しかったこんなに悲しいことは
人生の中ではもうないだろうと思うくらい悲しくて
病院の便所で泣いたのを思い出した

しかし、もし親父が生きていて私が高校に行っていたら
自分の人生は180度変わっていただろう

東京で弟子入りして3年ほどして
青森に帰りたくてしょうがない時期があった
兄に話してもう帰る日まで決めていたのに
直前で自分から親方に話して思いとどまったことがある
5年を東京で修行の末「年季明け」して職人と認められた

もし青森に帰っていたら自分の人生は180度変わっていた
多分、今の家内とも一緒になっていなかったかもしれないし
子供たちにもめぐり会えていなかったかもしれない
そんな転機が今までに人生の中でいくつかある

それははたして決められた運命なのか?
転機に立ったときどちらでも選べるのに
自分で無意識に選択していたのか?
私は運命は変えられるといつも思っている
今までの人生は自分で変えた人生だったのかもしれない
多分その中には何か共通するものがあるのかもしれない

先にも書いたように今までで
一つだけ心に残ることがある
「高校受験」をしなかったことだ
たいしたことではないが自分では受験しなかったことに対しての
罪悪感が今でもある
多分母親は心配していたと思う
今だと親の気持ちもわかる
しかしそれも今に至る転機でもあったのは確かである
                     拝
  
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2008年12月22日

命のかぎり

今日53歳の誕生日を迎える
おふくろの話では私が生まれたのは
年の瀬もおし迫った1955年12月22日の
午前4時頃難産のすえ生まれたらしい

去年2つ違いの兄が亡くなって
健康の大事さを強く感じた
私は4年ほど前から
健康に不安を感じて運動をし始めいる
そのせいか体重や今よく言われているメタボなどの
標準の測定値はクリアできるようになった
今年は運動に加えて自転車に乗っている
目標を決めて20キロ50キロ70キロと走った
先日は未踏の100キロを7時間掛けて走れた
少し時間はかかったが満足感、達成感は大きかった
ゴルフもそれなりに出来た

しかし思う
いくら運動して体調が良くても
いつまでも健康でいれて
寿命が延びるという保証はない
自分の寿命はわからない
そう考えると生かされていると言う感じがする

先日冒険家の三浦雄一郎の話を聞く機会があった
彼は今まで様々な冒険にチャレンジしてきて
その中でもエベレストからの滑降のとき
転倒滑落し九死に一生を得た
あと数十メートル流されていたら
クレパスに落ちて終わっていただろうと話していた
今までの冒険の中で数々の危機を乗り越えてきて
振り返って見ると自分では生かされているという
実感があると話していた

以前、宗教学者か生命学者が
全ての生き物には生かされている意味があると
いうような話を聞いたことがある
確かに納得する

生きたいという願望と
生かされているということは
とはまったく別だ

普段その事は忘れているし
思いもしないかもしれないが
生かされていることに気づくことと
その意味を考える事が大事だと思う
「命のかぎり」と言う言葉を聞くことがあるが
まさにその言葉の通りかもしれない

今年も何日もないがいろいろな意味で
自分自身を見つめられ
変われたいい年だったと思う
来る年も本当に自分の存在を
十分自覚できて
さらに成長できる年にしたい

少し早いようですが
本年一年本当に皆様のお世話になって
新しい年を迎えることができそうです
誠にありがとうございました

皆様には迎える年が素晴らしい年である事を
御祈願申し上げます

                        拝
株式会社 リーファ
代表取締役  楠美清

  
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2008年11月25日

謙虚

九州場所が終わった
角界もこのところ様々な問題が起きている
若い序の口力士の死亡事件、大麻、八百長と
いまなお引きずっている
そのせいか相撲人気ががた落ちだ
さらに横綱の休場
九州場所を見いていても席はガラガラだった

でも嬉しいこともあった
若い力士が力をつけてきている
九州場所は安馬が大関に王手をかけた
経済新聞に安馬がこう語っていた
「自分は先代の貴乃花の相撲を目指している」
外国人力士が言った言葉だったからか
なんだか嬉しかった
横綱白鵬も横綱として
今の相撲を盛り上げるため
「全身全霊で取り組む」と言ったあの言葉も嬉しかった
相撲が好きで外国から日本に来て
その世界に入る
強くなって傲慢になる力士
強くなってなって謙虚になる力士

国技である相撲の最高位、横綱とは
単なる相撲の強さだけではない
強いいだけでは横綱の名が泣く

横綱と言う品位
それはその本質を極めた時自然に備わる
そしてそれは謙虚な振るまいとなる

関取が外国人であってもいいと思う
大事なのは
国技である相撲が好きで相撲を理解し
その本質を極めることである

私たちも同じだ
少し人より何か出来るようになると
その奥義を極めたかのように
錯覚して傲慢になる

かつてもたくさんあった
ビジナスで話題になって成功すると傲慢になり
その道を極めたかのように錯覚する経営者
そんな企業はかつてたくさん
流星のごとく現れては消えていった

いつでも謙虚な気持ちを忘れないでいたい

                    拝
  
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2008年09月18日

「なめんな」

先日家内の実家に遊びに行ったら
昼寝している家内の母親の髪を猫がなめていた
毛づくろいをしていたのである

この猫は10年以上も前に
私が生まれたばかりのものを
二匹貰ってきたうちの一匹である
一匹はもう死んでしまって
今は年老いたこの猫が一匹である
人間でたとえると多分
80歳を超えた母親と
同じくらいの年齢になるだろう

家内の実家は年老いた母親と
猫一匹と犬一匹、ニワトリの生活だ
中でも最長老の猫に関しては
人間と自分と同じ感覚でいるらしい
媚びない猫で、時々怒ってつめをたてる
しっかり自分をもっている猫だ
犬はとても人なつこくて気のいい犬で
ほとんど吠えない、外で飼っているが
番犬には向かない

なめていると言えば
最近はなめられることばかりだ
安倍さんにつづき福田首相の
突然の辞職は国民をなめているし
日本の国技相撲
相撲協会はファンをなめている
食品会社は消費者をなめている

先日このかびた、農薬づけの米で
つくられた焼酎を飲んでしまった
特に身体的な被害はなかった
腹の中に納まってしまった
ものはどうしようもないが
世の中いい加減なことばかりで
なめられるようなことばかりである

そんなことばかり続くと
何事にも不信感が付きまとう
企業や国は消費者や国民に
信頼されるように一生懸命
努めなければならない
事業をする私たちも同じことである

              拝
  
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2008年09月01日

輪廻転生

二日続いてお通夜があった
お経がおわりお坊さんが法話をしてくれた
最近法話をしてくれるお坊さんは少ない

こんな話だった
人が亡くなってからの事を話してくれた
人はなくなって49日の間に
次に何かに生まれ変わり
それが決まるらしい

以前ある生命学者が
こんな話をしていたのを思い出した
私たちは庭に咲いている草花を
鋏みで切る事をなんとの思わず
日常の行為でするが切られた草花は
どう感じているかということだった
たぶんその時生きている物は全て
痛みを感じたりするという事を
話していたと思った

人が亡くなったら草花や木になったり
何かの動物になる人もいるかもしれない
そう思うと時々こんなことがある
犬の顔や目をじっと見ていると
犬が何か言いたそうにしているような
顔に見えるときがある
きっと前世は人間だったのかもしれない

昨年兄が亡くなって葬式の時
白い蝶が祭壇の周りを飛んでいたのを想い出す
たぶん兄は蝶になったんだろう

そう考えると自分はなんになるんだろう
自分の希望は叶わないとしても
出来ればもう一度人間がいい
無理ならみんなからかわいがられる
パンダか白熊がいい

いづれにしても自分の寿命は
自分では決められないのであるから
今を悔いなく生きようと
結局思う


  
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2008年08月17日

執着しない

チョプラの本にこんなことが書かれていました
私たちは日常生まれてから今まで
経験した事が既知となって
それが自分の悩みや苦しみそして判断の目安に
さらには自身の価値観なっていると
私たちはその既知に執着して日常を過ごしている
それは「現地のかわりに地図で満足しているようなものだ」
と言っています

執着するとその人が本来持っている
無限の流動性や柔軟性
創造のすべてのプロセスを妨げ
自身を固定的な枠に氷つかせてしまう

既知の反対の言葉に未知があります
未知とはわたしたちが体験したことのない世界です
既知に執着しないと未知が訪れると
この本では言っています

未知は私たちが目指した物を与えてくれます
興奮や冒険、神秘
また願望かもしれません
それは目に見える物であったり
目には見えない心かもしれません

オリンピックで谷亮子選手が5大会連続で出場
今回の北京では本人の体調も万全で
今までにないくらい絶好調だと話していました
本人をはじめ誰もが金メダル確実だと思っていましたが
結果は3位の銅メダルでした
決勝で試合が終わった瞬間
谷選手は茫然としまさかと言う様子でした

私はこの瞬間が執着だと感じました
しかしその後のインタビューでのコメントが
「今までやってこれたのは周りの皆さんの
支えがあったからだ」と笑顔で話しています

この瞬間谷選手は執着を捨てています
そして未知が訪れていました

彼女が大きく成長した姿のように私には見えました
これから選手として
また素晴らしい指導者として
そしてお母さんとして
素晴らしい人生を過ごしてほしい

谷亮子は一流選手だから出来たのか?
私はそうは思わない
それは本人が決めることだから

執着を捨てる
常にこれからも自分自身
問い続けて行こうと考えさせられました


  
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2008年07月03日

水槽

私はよく出張する先日東京に出張したときのことだ
その日も結構遅い時間に着いて手っ取り早く
夕食をとろうとある駅前のすし屋に入った
私はすしが好きで入り口で値段の安さと
おいしそうな看板につられて入った

入ると中年の男の店員がカウンターに私を通した
店は木曜日の遅い時間のせいかあまり客が多くはなく
15席ほどのカウンターにも私を含めて4人ほどいた
私の前にはすし職人が二人いて
すしや刺身を調理していている
その後ろには大きな水槽があって
中にはアジ、アメマス、鯛、ヒラアジ、カサゴなど
何種類かの魚がほぼ同じ方向に向いて仲良く泳いでいる

多分この魚たちは日本近海で取れて集められて
ここにいるのだろう
それぞれ違った海で育って
ここでめぐり会ったのかもしれない

水槽の魚を見たときなんとなく今いる東京と重なった
東京は地方出身者が多い
みんな違った田舎で育って東京という水槽に集まる

最近秋葉原で大変な事件があった
それも地方出身だ

誰でも生まれたときは皆おなじで
誰一人として悪い人間はいないし
間違っている人もいないなのに
どうして私たちは成長と共に
自分らしさをなくしてしまうのだろう
自分がなくするというより
回りの環境がそうしてしまうのかもしれない
育つ過程で自分らしさをそぎ落とされている
私も含めて今私たちは自分らしさを
取り戻さなければいけない
みんな違っていい

今までの過去はそれとして
今変わるときに来ているのではないだろうか
                   拝
  
Posted by kkusumi1222 at 21:07Comments(0)TrackBack(0)